成長は「百聞は一見にしかず」だ

高校生達の文化祭に参加して肌で感じた人としての成長

佐世保で高校生を中心として学生が自分達で運営をした学校を超えた文化祭「GESO祭り」に参加してきました。

初代のイベント主催のやつが知り合いだったのでその関係で会場の外でプログラミング体験ブースとDJブースを出してイベントに協力してきました。


しれっとPAさんの手伝いで音響関係もけっこう手伝いました(笑)

久しぶりにバンド転換やステージマンやって楽しかったです(笑)


けっこう大きいホールもかなり埋まっていたし、出演者の高校生たちがなかなかすごかった!

ボイパとかフリースタイルダンスとか映像と同期させたファッション団体とかバンド演奏とか、しゃべりも上手いやつもけっこういて、その堂々とした姿にとても感心しました。


自分が高校の時を考えると、こうやっていろいろな人たちで集まって自分達でイベントを立ち上げて自分達で盛り上げていく、ということ自体なかなか想像がつきません。


高校生のうちからこんな面白いことに関われるなんてめちゃくちゃ羨ましいなと、単純に思いました。

こんなイイ経験をこの年齢でしてるこいつらの将来が恐ろしいなと。(笑)


今でこそ僕も自分でいろいろなことを動かして面白いことが実現できるように少しずつなってきました、が年齢に関係なく頑張ってるやつは頑張ってるし動いてるやつは動いてるし、レベルだって十分に高いということを身をもって感じます。


僕は年下の人間に対して偉そうにするのが非常に嫌いなのもこういう理由からです。

年齢しか勝てるとこがなくてそれで偉そうにしてたらめちゃくちゃダサいですから(笑)

逆に年上に対しても無条件な尊敬は僕はあまりしませんね。年齢に関係なくその人が何を持っていて何を成したか何を考えているかということの方が大事です。


子供の可能性を潰す大人達

と、まぁ僕は参加してみてとても素晴らしいイベントだと感じたわけですが、イベント前にいろいろな話をちょこっとだけ聞いていました。


学校で先生が「GESO祭りには絶対に行くな」

と生徒達に伝えたり、親が反対していてイベントに遊びに行きたいけど行けない、というお客さんがいたり。

スタッフをやっている子も学校や親と戦いながらイベント運営を頑張っていたり。

イベントの売り上げは学校に寄付しなさい、と言ったり。


正直詳しい話は外部の人間なので分かりませんが、例えどんな理由があったとしても共感できるものでは無いような事実ばかりであまりにショックでした。


僕は今教育のサービスを展開して現場で子供にも触れながら教育についていろいろなことを考えています。

まぁ正直教育に関して僕はペーペーっちゃぺーぺーなんですが、教育に長く携わっててずっと子供を見てる人間がこんなことを言っちゃうんですか!?という感じです。


学校の先生や親もきっと子供たちを愛する気持ちはあるんでしょう(と思いたい)、もしも子供達が何かトラブルにあったり、何か悪い影響を受けてしまうかもしれない、という気持ちなのかと思います。

それか何か問題となった時にいろいろと大変だし、責任が持てないから、ということで学校なんかは否定してそうですね。



まぁそういった事情、わからんでももちろんないです。僕がそう思ってる、ということではなく一般論としてそういう風潮はどこにでもあると思います。

ことなかれ主義ですね。


特に学校なんかは公務員たちがいて、何かしら攻めの行動を取る必要が普段はないでしょうから。

すごく面白いことや、意味がありそうなことでも一つのリスク要素でもあればそれはやらないことになるのでしょう。


そしてそういう大人達が子供たちに与えるのは規制規制、そして規制。ルールですね。


バイトをしてはいけません、髪を染めてはいけません、ピアスをしてはいけません、異性交遊をしてはいけません、お金が絡むことはしてはいけません、LINEは9時以降使ってはいけません、ライブハウスには行ってはいけません、などなど...


そして、大人の想像の範囲内の優等生像に当てはめていこうとします。


短髪の黒髪で部活動に励み、ボランティアや掃除に参加し、授業中は先生の話をしっかりと聞き、ノートをびっしりととって定期テストでは穴埋め問題で高得点を取り、ゲームではなく読書をたくさんして、色恋沙汰にうつつを抜かすことなく、大人の言うことには素直に従う。


ごりごりに偏見まじりに書いてみましたが当たらずとも遠からず、ふんわりとした若者への理想像だと思います。


こういった大人のなんという想像力の乏しさ、視野の狭さだろう、と絶望します。

視野の広くない大人がその視野の範囲内で子供を抑えようとするなんて。


実際は人間の成長ってのはもっと多岐にわたっているのに、学校の中で評価されるのが成長の中のほんの一部でしかないように感じます。


もしいろいろなことにチャレンジしたり関わったりして、問題を起こしたり失敗するかもしれません。

ただそれはその時その瞬間の失敗であって成長の失敗ではないのです。

長い目で見ればその失敗こそ成長の大きな要因となります。


もちろん失敗せずに成功したとしてもその成功体験もその人にとってかけがえの無い経験であり自己肯定感や自信に直結します。

結局のところ人は経験することでしか成長できない部分がたくさんあると思います。


こけたら痛いからこけないようにしましょう、と教科書でいくら教えても実際に一回こけて痛い思いをしないとなぜこけてはダメなのか本当には分からないでしょう。


わかった風な(テストでは「こけるとダメ」、という回答ができたら◯がもらえて優秀ということになる)子供を見て先生や大人達は満足してしまっているんではないでしょうか。


そしてその子供達が実際に社会に出た時にはこけた時の手のつき方がわからずに苦労してしまいます。

バイトを禁止され、お金は汚いものだと教えられた子供達が社会に出てお金を扱う時に扱い方がわかりません。

本当の意味で学んでいないことはたくさんあるんだと思います。

それは体験を伴っていないからです。


学校の先生とかならきっとこの言葉くらいは知っているでしょう。

「百聞は一見にしかず」


本当は体験の中で失敗や成功を繰り返すことで多くのことを学びます。

そして自分でひたすら考え抜きます。

それこそが成長の柱じゃないでしょうか。


教育において一番大事、かつ有効なことは、

答えを教える

ことでは無くて、

体験し自ら考える事の出来る環境を提供しサポートする

ことだと思います。


少なくとも僕はそう考えているので今回のイベントの話のように貴重な経験を積むことのできる環境を否定することは教育という目線から有り得ないと考えます。



日常ではなかなか経験できないことの中には様々な苦労や嫌なこと、そしてとてつもなく嬉しい瞬間など成長できる要素が山ほど存在するはずです。

もちろん大変な問題になるかもしれませんが大人達があまりにもネガティブな部分のみに焦点を当てすぎなんではないでしょうか。


問題が起こることを恐れて大人達はその問題から自分達の組織や子供を遠ざけようとします。

それは逆にメリットからも遠ざかる行為であることに気づいているのでしょうか。

1のリスクを恐れて100の大事なことを失う、そんな風に僕の目には映ります。



はっきり言ってそんなクソみたいなことを子供達に強制する大人達は悪影響なのでマジで消えてくれ、と思っています。

しかも学校の教員、教育に携わる人間がそんなことを言ってる。

さっさと教員免許を返して来いそして死ね、と言いたいです。


もちろん問題はそんなに単純じゃないこともわかります。

なぜ1のリスクをそこまで大人達が恐れるのか、それは社会全体の問題として存在しています。

1の問題に対して執拗に攻撃するいわゆるノイジーマイノリティーと言われるモンスターペアレントやクレーマーの存在、そして1の問題を拡大させて100の問題にしてしまう各種メディア達の罪は重いです。


きっと一部のたくましい子供達はそんな大人をしっかり見てもそれを疑い考え反面教師として自ら答えを探すでしょう。

これが出来る子供はかなり強いです。僕の経験上、面白くて頭がキレて仕事も出来てどんどん伸びていくタイプの人間は学校内の優等生タイプではありませんね。

逆に大人の言うことをクソ真面目に鵜呑みにしてきた人が活躍できる場は社会に出てあまり用意されていません。活躍できたのは通信簿と定期テストまでです。


しかし実際問題身近にいる大人達の存在というのは子供にとって非常に大きく、それに対して本質の追求を出来る子供は一部であってどうしても大人の言うことは聞かざるを得ない子供達は多いはずです。

そういった子供達にもっと違った多様な大人の姿、そして広い視野やもっと本質の部分をどんどん見せる、そして頑張る人間を全力で応援できる人間になりたいと常々思います。

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