箱根駅伝を見て感じた違和感

感動に水を差すような記事を書かせてもらいます。


正月の名物の一つといえば箱根駅伝でしょうか。

個人的に球技以外のスポーツを見るのが好きじゃないんで(昔ちょっと陸上してたけど)あんまりちゃんと見たことなかったし何が面白いのかいまいちわからないんですがたまには見てみることに。

(駅伝ファンの意見ではありません)


 

確かに必死で頑張ってる人の姿ってのは競技やスポーツに限らず引き込まれるものはあるわけです。



だがしかし!


途中でやっぱり違和感が出てきた。



実況である。



選手の必死に頑張って走っている姿が映ると同時にそれぞれの選手のエピソードをいろいろと紹介し始める。


他の競技に比べると絵変わりが少ないのでかなり実況がいろいろとしゃべりっぱなしになるのはまぁしょうがないんだが。

いろいろなエピソードが紹介され始める。



◯◯県の出身で、実家は◯◯な仕事をしていて、こういう風に育ってきました〜だとか、

家がとても貧乏で手伝いをしながら練習に励んできました〜とか、

最近身内が亡くなったのでその想いを込めて走ります、とか、



違和感だ



まぁ正直こういうのは全然箱根駅伝に限った話ではなくてテレビでスポーツを見てたら頻繁に感じる違和感だ。



ざっくり言うととても気持ち悪い。下品だと感じる。


単純に好き嫌いじゃないかと言われるかもしれないし実際そうかもしれないけど、この感覚って共感してもらえるだろうか?



いわゆる感動ポルノとしてそこに映る人間を製作者や視聴者が消費している。

実際のその人物がどのような人間か、とは少しずれてでも共感出来たり同情出来る人物像を作り上げ見ている者の感情を揺さぶろうとする。



常套手段ではあるが露骨にこういうことをするのは胸糞が悪い。

感動につながりそうな話にすぐに飛びつく。


「こういうのが感動するんだろ?ほらっ」ってテレビ局から餌を投げられているようだ。


そろそろ視聴者も感動の押し売りには違和感を覚え始めてきてるけど未だにテレビがこういうことをするのはやはりテレビのターゲット層がリテラシーが低い層をターゲットにしているからだろう。


だいたいの内容駅伝関係無いじゃん(笑)



これは高校野球なんかを見ても顕著だと思う。

怪我をしながらでも頑張る姿や同じように不幸な境遇などをひたすら持ち上げ煽って演出する。




そしてリテラシーの低い層の視聴者側。



こういう不幸話や苦労話、同情出来る話や過去の話が好き

悲劇のヒーローやいい子、などわかりやすいキャラクターを求めている



ということ。


テレビ側もテレビ側なら視聴者も視聴者、といったところだろうか。


不幸話や苦労話、同情出来る話や過去の話が好きという点において喜ぶ人がいるからそれを提供するのはまぁ当たり前のことですよね。



これは確証は無い話ですが少し日本人の性質と結びついてるような気もしてしまう。


やたらと日本人は自分や身内の不幸自慢をする。


成果や結果を残したことを堂々と誇らずに、お金が無いだとか寝てないだとか、不幸自慢で競い合いをする場面をよく見ますよね。


本来であれば結果と関係無いことやちゃんとできなかったことを言うのは恥ずかしい、情けないことでもあるはず。

しかし自虐的なことや、過去の話が好きな人がどうにも多い。

(まぁこの辺は戦後GHQの弱体化政策と関係してくるのかも...)



侍の精神では弱音はカッコ悪いんじゃないか?

人が見ているところでは辛い姿なんかを見せない、というような精神もありますがそういった感覚は薄れていってるのではないかという印象。



僕は農家出身で正直お金もあまりなかったけど例えば


「近藤くんは農家の出身で、お家の手伝いをして、塾には行けませんが自分で必死に勉強して見事に九大に受かりました。親に苦労をかけまいと寮生活をしながら様々なことにチャレンジしながら頑張っています。その頑張りがご両親や応援してくれていた天国のおばあちゃんにも届くでしょう!(一部脚色)」


とか紹介されたら正直めちゃ嫌ですよ。



もしだいたい正解だとしても

第三者が何を勝手に感動的に仕上げてんだよ、と。

お前俺の何を知ってるんだ、都合のいいようにわかりやすいキャラクター(この場合苦労人の良い子)に仕立て上げるんじゃないよ、と。


不幸自慢して応援してもらうってのは正直ダサいと思うし、

そんな個人ってのは単純じゃないのに単純化するってのも失礼だと思う。



偶像を作り上げられる被害は後を絶たない。

過去や不幸にみんなで目を向けて感情を共有するのが気持ちいいんだろうね。


若者という価値のあるコンテンツを大人達の見世物にしているといつも感じてしまう。


見ている人たちを感動させるために彼らは頑張っているんじゃない。


見ている人が感動することはもちろん彼らも望んでいるし悪いことではないがそれは副産物であって本来の目的ではないはず。(プロ野球などになると興行なので話はすこし別)


何のために箱根駅伝も甲子園もあるのか。



そこで必死に頑張る本人達のために存在するべきでそれを消費する周りの者たちのためにあるものでは無いはずだ。


真剣な人間が感動ポルノに消費されるのを見ると心が傷む。

感動のために他人を消費することに対するアンチテーゼでした。


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ミュージシャンから起業家へ DOこと近藤悟のブログ オレンジ色の人

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